外湯巡りに
お宿で早めの朝食を済ませ、昨日できなかった外湯(共同浴場)巡りに野沢温泉街を妻と散策。
昨日のチェックインした時にフロントに置いてあった「野沢温泉外湯めぐりガイドマップ」を頼りに、宿泊先の浴衣姿のままタオルと小銭を手に、ガランゴロンと下駄音慣らしてブ~ラブラ。
共同浴場とか日帰り入浴とかの経験はありますが、浴衣に下駄履きで次々と温泉街の浴場を渡り歩く「湯巡り」体験はこれまでなし。
朝から旅風情に浸り、気分上々です。
温泉街には全部で13カ所も外湯があり、朝5時から23時まで入浴が可能。
村の共有財産で「湯仲間」といわれる制度によって維持・管理されていて、入浴は無料ですが、各浴場の入口には〝寸志箱〟があって、入湯者はこれに〝お気持ち〟を投じてから楽しむのがマナー。
本日は「善光寺参り」も控えているので、昨夜より今朝の湯巡りと散策は1時間ほどと決め込み、各浴場の特徴が書き込まれている湯巡りガイドマップに事前に目を通していたので、あらかじめ目星を付けていた浴場へと足を運びました。
1つ目は「真湯」。
共同浴場の多くは歴史を感じさせる一棟造りになっているので、すぐに場所が分かりました。ガイドマップがなくても分かるぐらい。
ここのお湯は白濁していて湯の花が多く、人気が高いとか。
宿泊先でいただいたお湯は無色透明だったので、どんなものかと引かれて入ることに。
寸志箱にお気持ちを投じて、半間ほどの入り口を開けると、玄関は畳1畳ほど。
下駄を脱げば、もうその先に脱衣所があり、仕切りなどもなく、そのまま浴場につながっています。
先客の姿はなし。
早朝巡りが奏功したのかもしれません。
さっそく浴衣のひもをほどき下着を脱いで、浴場へ。先ず体を軽く洗い流そうと、おけを湯船に入れたら、けっこうな熱さ。
(昨日のお湯も熱かったが、この分だと…)
湯船に足を入れてみたら、予感が的中!
もう相当な熱湯風呂!!
足を入れて「う~ん」とうなりながら、ゆっくりと腰を落とすも「ダメ、ダメ。熱ッつ」。
たまらず、逆モーション。
湯船の外へと飛び出ました。
天井つながりの女性風呂の方に向かって「そちらお一人?こっちは熱湯。そっちは?」と尋ねると、案の定、妻も「こっちも一人だけど…熱くて入れない」。
野沢温泉入湯ルール「どうしても熱い場合は、周りの人に声をかけ水を注ぎ、湯船に入れるようになったらすぐに止めましょう」に従い、声をかける周りの人もいないので、さっそく湯船直通の蛇口をひねって注水。
湯船に勢いよく水が注ぎ込む部分に照準を合わせ、そこからゆっくりと足、腰、そして肩までと徐々に熱さに慣らしていって、ようやく入ることができました。
少し余裕ができたので、両手で湯をすくって見てみると、確かに湯花が混じっています。
ただし、白色ではなく黒色。お湯も白濁とはまではいえず、薄ら白いといった感じ。
水は「入れるようになったらすぐに止めましょう」を実践したので、湯船滞在時間は恐らく1分未満。
それでも熱湯温泉ゆえに全身ほかほか状態で、さっと羽織る浴衣が最適と気付きました。
2つ目は「大湯」。
温泉街の中心部にあり、野沢温泉のシンボル的存在で人気ナンバーワン。江戸時代の趣を伝える美しい湯屋建築で、「ぬる湯」と「あつ湯」の湯船を持っています。
ぬる湯ならゆっくりと温泉を楽しむことができるだろうと期待を寄せていたのですが…。
建物の造りはさっきの真湯とほぼ同じ。
玄関から脱衣所そして浴場が一体となっています。
ただ真湯の浴槽がタイル造りなのに対し、大湯の浴槽は木造。
泉質は単純硫黄泉。
手前がぬる湯で、奥手があつ湯。
浴衣、下着をパパッと脱いで、さぁさ、ぬる湯、ぬる湯…
ぬる湯といえども、それでも警戒して、ちょっと足先を入れてみて大正解!
ぬる湯などでは全くなく、やっぱり飛び上がるほどの熱さ。
これって真湯より熱いかも…。
あつ湯とぬる湯の湯船を間違えたか、と思って改めて確認したほど。
湯船は間に仕切り板が見えたので2槽かと思いきや、近づいてよく見ると、上の方は仕切られていますが、下の方はつながっています。
思わず、「これじゃ、熱いはずだわ」。
幸運だったのは真湯と同様、大湯も先客不在ということで、さっそく注水させていただくことに。
「う~」「お~」「ふ~」
熱い風呂に入る時って、なぜ声が漏れ出るのでしょう?
何とか肩まで浸かることはできましたが、湯船の中に体をゆっくりと任せることなどままなりません。
やはり1分も経たないうちに、飛び出ました。
1度上がりではしゃくに障るので、湯船横で体を冷まして、再度入湯。
外に出るとすでに妻の姿が。
湯加減を聞いたら「熱すぎて湯船に入ることができず、かけ湯で済ませた」とのこと。
(なに!?)
クールダウンのため、温泉街を散策しながら宿に戻る途中、立ち寄ったのが「麻釜」。
野沢温泉の源泉湧出場所の一つで、90度近い温度の弱アルカリ性硫黄泉が毎分5百㍑湧いているそうです。昔ここで麻を茹でて皮をはいでいたことが名称のゆえんとか。
五つある釜の温度がそれぞれ違っていて、地元の台所とも呼ばれ、今でも山菜、野菜、卵などを茹でているとのこと。
幾つか釜を覗いてみましたが、確かにぶくぶくと泡が立ち上がっていて、源泉が湧き上がってきている様子が分かりました。
お戒壇めぐり
野沢温泉で外湯巡りを堪能した後、向かったのは約40㌔強ほど離れた善光寺-。
私、善光寺参りは初めて。
(少しでもお寺に近い駐車場に停めたいなぁ)
そう腐心しながらも何ら術もなく、結局は無計画のままお寺の周辺まで突入。
すると、派手な出で立ちで「こっち、こっち」と言わんばかりのオーバーアクションを繰り返すおじさんに〝釣られ〟るまま、ハンドルを切ったら、なんとそこはお寺のちょうど横に位置する駐車場でした。
駐車場を求めて徘徊すること0分。
気分は上々。
善光寺HPなどによると…
信州善光寺は、一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)を御本尊として、創建以来約1400年の長きにわたり、特定の宗派に属さない無宗派の寺として全ての人々を受け入れる寺として知られています。
一光三尊阿弥陀如来は、インドから朝鮮半島百済国へと渡り、欽明天皇十三年(西暦552年)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像-。
仏教を受け入れるか否かを巡る崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へ打ち捨てられ、その後、信濃国国司の従者として都に上った世俗人・本田善光が信濃の国へお連れし、今の長野県飯田市でお祀りされ、後に現在の地に遷座されました。皇極天皇三年(西暦644年)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられたとされます。
われら爺婆夫婦は山門、善光寺本堂、経蔵、史料館を巡れることができる「善光寺参拝セット券」(1,200円)を購入し、先ずは本堂正面にある山門に登りました。
山門は1750年建立、国の重要文化財。
有名な「善光寺」の額がかかっています。約畳3畳分の大きさで、この額文字の中に5羽の鳩の姿が隠されていて「鳩字の額」ともいわれています。
階段で2階に登ると、智慧の仏である文殊菩薩騎獅像、四天王像、四国八十八ヶ所霊場ゆかりの仏像などが安置されていました。回廊を一周でき、本堂や仲見世通りを見渡せます。
回廊散歩を楽しんだ後、本堂へ向かいました。
本堂の正面で両手を合わせ、中へ。
中へと進もうとしたのですが、すぐ人の列。
見ると、「外陣」の右側に「びんずる尊者」(なで仏)の座位像に連なっています。
お釈迦様の弟子である十六羅漢の一人で、びんずるさまの像に触れるとその神通力から自分の病気が治るという信仰があります。
なるほど、像をよく見ると、参拝者があちらこちらをなでるので、もうほとんど像全体がツルッツルといっていい状態。
最後尾に並んで徐々に前進、順番が回ってきましたので「頭」「目」「脚」をさすらせていただきました。
(どうぞ、よしなに…)
そして、この度のもっと大きな目的が「お戒壇めぐり」です。
ご本尊の一光三尊阿弥陀如来は非公開の〝秘仏〟で、お戒壇めぐりとは、瑠璃壇床下の真っ暗な回廊をめぐり、中程にご本尊を安置する内厨子に掛けた「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる御本尊様と結縁を果たし、極楽往生の約束をいただくという場-。
外履きを脱いで、内陣に上がり、さらに奥の僧侶がお経を唱える内々陣右手へ。
またまた、列に並んで、これまで以上の低速歩行で30分ほどかけて進んでいくと、瑠璃壇床下につながる入口が…。
階段を4、5段降りていくと、その先は真っ暗!
階段付近の壁には、右手で腰の位置の高さぐらいのところで触れながら歩くようにとの張り紙が。
妻が先行し、私がその後に続きます。
真っ暗闇の中、前の人に続いて列を成しての歩行ですので、さらにいっそう歩行速度は落ちて、歩幅も狭まり、一歩また一歩進むといった感じに。
腰の高さを意識しながら右手を壁に当てながら、けっこうな時間をかけて行くと、右へ曲がりました。また壁沿いに進んでいくと、今度はそう長い時間を経ずにもう1回右へ。
おそらくは直方体の部屋の周りを巡っていることは分かりました。
さらに進んでいくと、先の方からガチャガチャと錠前を触っていると思われる音が。
歩を進める度、その音は徐々に大きくなってきます。
(いよいよその時が近づいているな…)
すると、妻が「ここだよっ」と言い残して、前に進んでいったよう。
(ここだって、どこよ?)
右手を上下左右に動かしていると、金属製のような感触が手にありました。
なんだか、ドアの取っ手のような感じでしょうか?
(これか?)
手前に引っ張ったり、左右に動かしてみると、先ほどから暗闇の中、響き渡っていた音と同じようなガチャガチャという音がしました。
(これに間違いない)
2度、3度繰り返し、しっかりと結縁を果たしました。
すると、今度はそこから先、皆さんの歩調は一気に早まり、もう一度右に曲がってしばらくすると、外の明かりが…。階段を上り、内々陣へと戻ってきました。
次は本堂隣の経蔵へ。
宝暦九年(1759)に建立されたお堂で、中央には、高さ約6㍍、重さ約5㌧、奥行約4㍍という巨大な八角の輪蔵があり、中に仏教経典・『一切経』全6,771巻が収められています。この輪蔵を時計回りに一周押し回すと、収められた経典を全て読んだことと同じ功徳を得られるといわれています。
ということで、妻と一緒に押し回すことに。
ところが、ところが、約5㌧ですから、これまでも輪蔵を回したことがあるので、力加減を意識せずに取っ手をつかんで回そうとしたのですが、ピクリともしません。
気合いを入れ直して、取っ手をしっかり握り、腰を入れて押し込むと、ようやく動き出しました。
(これが経典6,771巻の重みか…でもこれで御利益があるのなら…)
妻と懸命に押し回したのでした。
最後に訪ねたのは史料館-。
広~い善光寺の敷地のぐっと奥手の方。
ダライ・ラマ法王14世が来寺された際に制作されたという色鮮やかな砂曼荼羅がありました。
約2㍍の円形の中に幾何学模様が描かれているのですが、何とこれが絵ではなく、色砂を使って表したというから驚き。
高村光雲・米原雲海作の仁王像も目にとまりました。
善光寺の仁王門に安置されている像の1/4原型像とのことですが、上半身と下半身のバランスと、特異なポーズそして筋骨の隆起具合…これが彫刻というから、信じられないほどの技量の高さです。
星野リゾートで和食フルコースに舌鼓
本日の宿泊先は長野県大町市にある星野リゾート「界アルプス」で、「贅沢な田舎を体験する」がコンセプト。
到着は16時ごろ。
炎天下で善光寺参りを慣行したので、チェックインしてすぐさまお風呂へ。
通された部屋はけっこう広め。
掘りごたつ風のリビングがあり、ロフトベッドありの一風変わった和室でした。
作務衣式の館内着に着替え、さっそく湯処へ。
お湯は大町温泉のアルカリ性単純泉。神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、慢性消化器病、冷え症、病後回復期、疲労回復などに効き目があるといいます。
浴場建物は2階建てで、とても綺麗。
2階に浴室があり、1階には「湯上がり処」の空間があり、リンゴ酢やそば茶のほかアイスキャンディーも無料で楽しむことができます。
朝方の野沢温泉と比べると、洗練され過ぎで、爺的には少々パンチが足りない印象ですが、こと湯加減についてはよい感じ。
男女それぞれ内風呂と露天風呂を備え、露天では北アルプスの山を眺望でき、湯船横にはカラマツ、そしてすがすがしい空気を感じながら、ゆっくりと湯浴みを楽しみました。
「湯上がり処」では、入湯前にリンゴ酢を、お風呂から上がった後は冷たいキャンディーをおいしくいただきました。
夕食は、半個室で。
夫婦連れにはほどほどの広さで、ゆっくりとプライベートな時間が持てました。
お料理は和食のフルコース。
信州サーモンをローストビーフで巻いた先付けに始まり、煮物、さまざまな地元や季節の素材を使った八寸盛り、そしてお造りに酢の物、ホタテ真薯の蓑揚げ、蓋物と続いて、牛肉と野沢菜の小鍋にキノコの土鍋ご飯、そして最後はリンゴのシャーベットの甘味…と質、量とも申し分なし。
二人して舌鼓を打ちました。
生ワサビを〝鮫皮のおろし〟を使って自分ですりおろし、好きなように手元の料理に適量を添えて楽しむ趣向もなかなかでした。
囲炉裏空間を楽しんだり、竹馬に乗ってみたりと、田舎体験も満喫。
明日、自宅へ戻ります。