息子2人で
この日午前自宅を出発し、午後実家へ到着。
先週からの出来事を振り返りつつ、私が兄に対し、父との面会は回避した方がいいのではと進言しましたが、兄は「いや、俺も一緒に行って自分の考えを伝えようと思う」と言います。
父が入所中の介護老人保健施設まで歩いて向かう道すがら、父の心境を2人で推し量ったのでした。
私「入所直後からの2人への度重なる電話は、自宅で転倒して急きょ入所することになって気が動転していたからだと思う。親父もそろそろ入所もやむなしかという気持ちは強まってきていたものの、突然の入所で、自分の気持ちに整理をつける間もなかった。それで、自宅へ戻りたいという思いを強く募らせているのでは」
兄「俺もそう思う。東京で暮らしている叔父(父の弟)とも1度ゆっくり話ができる機会も創ってやらないと、な」
私「そうね。親父もこの間、叔父さんと会ってみたいと言っていたし」
しかし、父が施設を一時退所しても、兄のいまの精神状態では面倒をみるのはもはや不可能-。
私が主導して、父をせめて半日だけでも自宅へ戻してあげて、気持ちの整理と叔父との対話の場を設定してやることはできないか-。
父のかかりつけ医はじめ看護師や施設関係者と相談してみることにしました。
父との面会に先立ち、かかりつけのO医院の担当医Iさんから父の病状と施設での生活状況について話をうかがいました。
「お父さまはだいぶ落ち着いてきているようです。最初は『おれはサンプルで来ただけだから、早く家に返せ』と。サンプルって何のことか分からなかったんですが、サンプルじゃなくてトライアルで来たということをおっしゃりたかったんだと思います。そう言って持ってきた荷物をまとめて、夜も寝ないでいらしたようですが、その後『3男さんが来て長男さんと相談するから、それまで我慢してください』『介護する人も大変なんだから、おとなしくしてくださいね』と説得して…」
入所直後からたいへんな騒ぎだったようです…。
担当医「看取りの段階」
「長男さんが介護で追い詰められているとうかがいましたので、私からお父さんに『何度も長男さんに電話をかけるので、長男さんの具合が悪くなっちゃった。もう電話をしないでくださいね』と話したら『分かった』と言ってもらいました。月曜からは、落ち着いてご飯を食べてらっしゃいます」
ただただ、頭が下がります。
「必要に応じて、ナースコールはできています。若干『声出し』もあるようですが…。移動は車椅子に乗ってですね。『テーブルがない。テレビがない』と言われたので『貸し出しています』とは説明しました。もう家には帰れないんだよと、ごまかしごまかしの状況です。お父さまは意識もうろう状態でなく、しっかりされているので、いつまた(自宅へ戻せと)〝爆発〟するかということはあります」
〝爆発〟とは言い得て妙です。
体調に関しては-。
「以前も話しましたが、軽い脳梗塞の跡があるので、入所前にMRI、胸のレントゲン検査等を行いました。すい臓、腎臓、心臓もやはりだんだん悪くなってきていて、水がたまって体がむくんだり食欲がなくなったりと体調に波があって、薬で調整しているところです。高齢ですし、病気が好転するということは期待ができませんので、体力的にも病院における手術灯の積極治療は無理ですし、病院側としても受け入れは困難だろうという状況です。ほかの老健施設もありますので検討していただいて、いまの施設でよければ、急変した場合を含めて責任を持って看取りをさせていただきます」
もう父は病院での治療対応ではなく、施設での看取りの段階とのことです。
父を一時的に自宅へ戻して気持ちの整理と叔父と面会の機会を創りたい旨、先生に相談してみました。
私「一時退所ということは可能でしょうか?」
I医師「可能です。ただし、いったん退所すると1週間以上は戻れませんし、そのときに施設のベッドが空いていないと再入所できません」
一時退所すれば、1週間以上経たないと再入所できないし、確約もされない-。
自宅に泊まらず、半日ほどの立ち寄りの形で、施設へ持ち込みたい思い出の品を選別したり長年住んできた家に〝お別れ〟を告げたり、叔父と話をしたりして、夕刻ごろに施設へ戻るようなことができればと、勝手に思っていたのですが、なかなかそうはいかないようです。
1週間もの間、父を自宅で面倒をみきれるかどうか、なかなか自信が持てません。
それでも〝粘り腰〟で、1週間より短期間の一時退所ができないかを尋ねたところ、施設関係者の方から提案をいただきました。
初めから看取りを前提とした入所契約ではなく、先ず1カ月以内のショートステイの契約をする。
ショートステイを終えて自宅へ一時戻り、その後看取りまでの再入所という〝2段階〟であれば、2泊3日の一時退所が可能とのこと。
ただし、その場合も再入所時にベッドに空きがあることが前提ですが、ここ1カ月以内であれば満床にはならないだろうとの見立てのようです。
〝2段階入所〟の提案をケアマネジャーを交えて模索することになりました。
車椅子に乗って
父の担当医との話が終わると、そのまま医院に隣接する父の入所先の介護老人保健施設へ。
玄関の方に歩いて近づいていくと、施設の方からカラオケらしき音楽が漏れ聞こえてきました。
介護の必要度がさほど高くない、比較的軽い「要支援」の方たちの日帰りデイサービスのレクレーションでしょうか。
玄関入ってすぐの扉の奥がパブリックスペースになっていて、そこで椅子に座って手を叩いたり、声援を送ったり、マイクを握って熱唱たりと、元気なお年寄りたちの姿が目に入ってきました。
職員に導かれてその横を通り抜けて、4畳半ぐらいの面会室へ入りました。
コロナ禍以降、家族でも、施設の個室でも、直接入所フロアを訪れることは禁止されていて、許されるのは面会室での接見だけ。しかも1週間に1度という〝厳格ルール〟になったそうです。
面会室で10分ほど待っていると、職員に押された車椅子に乗って、父は現れました。
薄いブルーのポロシャツを着ていて、元気そうなのでホッとしました。
真新しいポロシャツに見覚えがありました。私が父に頼まれて通販で購入したもので、きっとNさんが入所時に機転を利かせてくれて持たせてくれたのでしょう。
私「元気そうじゃない。調子はどうですか?」
父「いや、コンクリートの一番最低の部屋。見てみないと分からない。ひどいものだ」
個室の環境がいまひとつのご不満なようです。
私「最低って部屋が狭いの?」
父「狭い。空いていた、一番端っこの部屋。他の部屋は広くて良い。2人入っていて、造りもいい」
私「個室じゃなくて2人部屋だったら広いよ。相部屋でもいいならそっちにする?見ず知らずの人と一緒の部屋ってことだよ。独りがいいんでしょ?」
父「あぁ独り。2人部屋を独りで」
それはできないと言うと、今度は…
父「ザーザー音がして。うるさい」
私は兄と目を合わせ、父は耳が遠いのに聞こえるんだろうかと疑問に思っていると…
父「もっと広いところ。待っているんだ。空いたらそっちに移るとか、テーブルを用意するとかと言ってもらってる」
環境改善求める
近くに居合わせた職員に個室の面積を聞いてみると、すべて同じ広さの造りといいます。
広さは同じだと説明しても、父は「いや、隣の部屋はもっと広い」やれ「カーテンがない」と言い続けるので、兄が職員に個室部屋の写真を撮ってきてもらうようにお願いして、数分後その写真を見比べてみることに。
父の個室部屋208号室とその隣の部屋を写した写真を見比べてみましたが、職員の言うように広さは同じに見えます。
父に写真を見せると「カーテンもあった方がいい」と言い出しましたが、写真を見るとカーテンはすでに付いていて、職員も「カーテンはあって、日中は開けますかと聞いてから開けるようにしています」。しかし、父は「ない、ない。見てみないと分からない」の一点張り。
「音がガーガー音がする、ガーガー」との父の指摘に、職員は「音がうるさいということですが、昼は入り口のドアを開けるので他の部屋のテレビの音が聞こえてくるのかもしれませんが、夜間はテレビを消しています」と説明してくれました。
どうも、らちがあきません。
兄が「個室で空いているところは他にないんですか?」と聞くと、職員は「今なら201号が空いています。移した後、やっぱりダメといった場合は?」。
兄「また移してください」
職員「それはできません。設備は同じですし」
兄「とにかく、本人が今の部屋ではダメだと言っているので、比べてみて、新たな部屋の方がいいと本人が言うならそっちへ移してください。親父、それでいいだろ?」
父「それでいいんじゃない」
兄は懸命に施設側と掛け合っているのに、父はまるで他人事のような反応です。
兄に向かって「大事にして」
部屋の問題にひと区切りついたので、生活ぶりについて父に聞いてみました。
私「先生から話を聞いてきたけど、体調に波があるらしいけど、ごはんは食べてるらしいね」
父「食べないわけにいかない」
私「3食ちゃんと食べてる?おやつも出るらしいじゃない」
父「だいたいな。おやつは食わない」
この日、自宅に立ち寄ってあらかじめ連絡を受けていた上下の肌着2セットのほか、急きょの入所だったので、父が大事にしていた母の写真と、日記の代わりにデモとメモ帳も職員さんに手渡し済みであることを伝達。
私「何か欲しい物はありますか?」
父「ラジオカセット。テレビは持ってこれないだろ」
私「テレビは貸し出しているらしいけど、家から持ってくるよ。2階の親父の部屋にある小さいテレビ。1階のは大きいから入らないでしょ。じゃ、ラジカセとテレビね」
父「いや、テレビがあればいい。それからイヤホンな」
私「他には?」
父「何なにって急には思い出せない。俺は帰れないのか、家に」
兄「しばらくの間は」
父「家に帰ってこれとこれってな…」
私「うん。それで、5月に必要な物を取りに1回家に帰えることを考えている。体のことがあるからまたここに戻ってこないといけないけど」
父「これから行かないのか?」
すると、兄が割って入り…
兄「作ったごはんを食べてもらえばいいが、親父は体調の具体でベッドから起きてテーブルで食事も取れないし、トイレも自分で流すことできない…。親父が戻りたいと言っても、ご飯を出すこと以上のことを求められても、俺独りではもうできないんだ」
父「ごちそうになった。分かってる」
兄「分かる?俺、考えすぎて心の病気になったしまったんです。介護疲れだということで、もうそれ以上のことをと言われても、俺にはできないんだな」
そして、兄が昨日診てもらったという医師の診断書を父に手渡すと、父は目を通した後、こう言って兄と言葉を交わしたのでした。
父「大事にしてください」
兄「ありがとうございます」
最後に父を元気づけようと、5月に一時退所を計画中であることを伝えたのですが…
父「まあ、早く死んだら、死ぬから。今日、死ぬかと思った」
私「何バカなことを言ってるの。元気じゃない、元気出して」
父「いい、俺に任せろ。俺がやる。いいだろう?」
私「何を言ってるの」
父「俺が思ってやるんだから…。いつまでも待っていても来ないし。今日もなかなか…」
どうやら5月にまた面会に訪れるという話を疑っているのでしょうか。
早く次の面会に来ないと、そのうちに死んでしまうぞ、約束を守れよ、と強調したいようです。
兄と私は「こうしてやってきたじゃない。先生の話を聞いていたから、来るのが遅くなったけど」と取りなして、約30分間の面会を終えたのでした。
長男の思い
老健施設を出て、本日の夕食対応のため、兄と一緒に実家の近くのスーパーへ。
もはや2人に料理を作る気力はなく、お弁当とできあいの惣菜を買って、それで済ますことに。
家に戻って、食事を取りながら一日を振り返りました。
徐々にお酒が進むと、長男の兄の口から出てきたのは父への〝思い〟と、偽らざる〝心情〟でした。
「とにかく一生恨んでやるという言葉が効いた。それまでいろいろ親父の面倒を見てきたのに、そんなことを言うのかと。(父が施設へ入所した)土曜日にそう言われたから、俺も考えたんだ。俺がいるから、親父はいろいろと頼りにしてきた。それじゃあ、俺がいなくなっても自分独りでやっていけるのかって。俺が死んでしまえば、独りでできるかどうかが分かる。だったら俺は死んでやるって。一生恨んでやると言われたが、こっちも恨んでやるって」
兄の気持ちが痛いほど伝わってきます。
「その話を(訪問看護の看護師)Nさん、(ケアマネジャーの)Yさんに(日曜日に)したら、早く精神科に行って診てもらった方がいいって言うから、近所のS医院に行って、そこの先生にいろいろ話をして診察を受けたらうつ症状と診断された」
「この近所をみても、奥さんが亡くなって旦那が独りになったら施設に入ったいる人が多いのに、親父にはそういう自覚、認識がないのかなぁって。独りになった時の覚悟がなかった、ないんだなと思った。俺はそうなったら施設に入るよ」
話に相づちを打ち、うなずきながら聞いていたのですが、私はひと言だけ父の〝擁護〟をしました。
私「親父は、ほぼ寝たきり状態になった自分の母親も妻も、自宅で自ら面倒をみてきた。家族愛が強いから、家族の面倒は家族がみて当然という思いがあるんだと思う」
兄「そうだと思う。婆さんとお袋の面倒をよく看たと思う。俺はこれまで親父に直接『立派だよ』って言ってるけど同時に『だけど、俺はあそこまではできないよ』とも言ってきた。時代も違うし、俺も定年してやりたいこともあるし、もう限界、限界なんだ」
あぁ余計なことを口にしてしまった…。
「ご苦労様でした。ありがとうございました」
兄に改めて感謝とねぎらいの言葉をかけて、夕食を終えたのでした。