叔父夫婦と、父の元へ

家族

イチゴを口に:5月5日

大型連休中、私たち夫婦は叔父夫婦と一緒に、介護老人保健施設に入所している父の元を訪ねました。

当初は、連休中に父を施設から実家へ一時退所させ、私たちが東京在住の叔父夫婦を実家までお連れして、会っていただく計画でした。
しかし、施設から父の様態が悪化したため退所は難しいという連絡が入ったため、予定を変更。
やむなく施設にとどまることになった父を見舞うことに。

5日、私の運転する車で、往復800㌔強の「激励の旅」へ出発しました。
施設に足を運ぶのは、父が入所して間もないころ以来-。
前回の面会は、コロナ感染予防の観点から1日当たり「1回」「3人まで」「15分程度」で、場所も父が常時居る個室ではなく、共有の面談室という制限がありました。
しかも透明パネルを挟んで、です。
それでも粘って、30分程度会話を交わしましたが…。

今回は、父の終期が近づいているとの担当医の判断で、1日当たりの面談の回数制限は解除。
事前に訪問時間を施設事務所に連絡すれば、「3人まで」「15分程度」であれば「24時間、何度でも」父が常時居る個室で会うことが可能に。
あらかじめ伝えていた14時より少し前でしたが、施設にうかがうと、職員が応対してくれて一緒にエレベーターに乗って、父の「204号室」まで案内してくれました。

父の個室を訪ねるのは初めて。
中へ入ると、部屋の中央にベッドがあり、父はその上で眠っていました。
鼻下には透明の細いチューブがあてがわれていました。
チューブ先は酸素吸入器につながっています。
改めて部屋の中を見回すと、8畳ほどの洋室空間で、けっこう広めです。
洗面台にロッカー、机に椅子もありました。
ベッド脇で父の様子をじっとうかがっていたら、職員の方が状況を説明してくれました。

職員「昨夜から未明にかけて、けっこう長い時間にわたって〝声出し〟があったようです。それで疲れたのでしょう。先ほど眠ったばかりです」
私「そうですか…」
職員「『家に帰るんだ』と言って、準備もしていたようです」

私が父を迎えに来て、自宅に連れ帰り、2、3日後に再び施設へ戻ってくる「一時退所」の話をしていたので、気が高ぶって、声を上げてしまったのかもしれません。
(おやじ、悪かったなぁ。一時退所は難しくなった)
改めて父の顔を見ると、頬はいっそう痩せこけ、体もひと回り小さくなっていました。
すい臓を病んでいるので、栄養の吸収がままならないのです。

「到着が遅れて申し訳ありませんでした。ただいま着きましたよ~」
「…」
呼び掛けても反応はありません。
「お~い、お話できませんか~」
少し大きめの声にも無反応。
「東京から叔父さんが見舞いに来てくれましたよ~」
私の車で昨日7時間ほどかけて一緒に来てもれった叔父と叔母が代わる代わる呼びかけ、軽く肩をさすってみたのですが、やはり反応はありません。
よほど眠りが深いようです。

父は体が弱ってからイチゴを好んで食べるようになっていたので、地元のスーパーでイチゴを購入。
嚥下えんげする力もほとんど残っていないので、実家でスプーンですりつぶしたりガーゼでこしたりして、ペースト状にして〝差し入れ〟を持ってきていました。

折角だからと、妻が皿からイチゴの欠片と果汁をスプーンで少量すくって父の唇に当ててみると…
目は閉じたままですが、口だけ開けました。
「お父さん、イチゴですよ、分かる?」
妻の呼び掛けに、言葉はありません。
ですが、父がひと口、のみ込みました。

口を閉じ、味わうような仕草を見せた後、また口を開けました。
「イチゴの味しますか~」
目も開けず、言葉のやり取りはありませんが、口だけは開けてくれます。
夢見心地で食べているよう。
「少しずつ、少しずつね」
こちらの声が聞こえているのか、いないのか…。

この日、イチゴをスプーンで5口ほど口にしたものの、言葉を交わすことはかないませんでした。
「また、うかがいま~す」
4人は明日に望みをつないで、父の個室を出たのでした。

施設から呼び出し:5月6日

翌6日-。
少し気分晴らしにと叔父夫婦に地元を見てもらおうと車で市内を巡っていたら、午後、私の携帯に兄から連絡が入りました。
父の容態が悪化したと施設から呼び出しがあったとのこと。
一同、父の元へ。

午前中、父にとっては孫に当たる姪っ子姉妹が施設に見舞いに行ってくれ、そのときには、彼女たちの呼び掛けに父は反応していたと聞いて、ちょっと安心していたところだったのですが…。父の個室に入ると、顔には昨日までの酸素吸入のチューブではなく、透明の酸素吸入マスクが鼻から口全体にかけてあてられていました。

職員さんによると「全身のむくみがさらにひどくなってきています」とのこと。
父の手に触ると温かく、さすってみましたが、昨日と同様、反応はなく、目は閉じたまま。
「昨日98%だった酸素飽和度は、本日は95%になっています」。
通常は90%以上必要といわれている酸素飽和度も低下しているよう。
「担当医に状況を伝えたところ、少しずつ全身状態が悪くなってきているので『いつ何が起きてもおかしくない』とのことでしたので、お呼びしました」。
緊迫した空気が漂います。

兄が父のベッドの傍らに立って「どこか痛いところはないですか?」と話しかけます。
相変わらず、父の返答はなし。
叔母は、父の足下の布団をめくって、両足を交互にさすってくれました。
私は「頑張ってくださいよ~」と、ただただ繰り返し呼びかけるだけ…。

面会時間の15分はあっという間に経過。
この日も父とのやり取りがないまま、父を施設の方にお任せして、引き揚げたのでした。

目を開き「おう」:5月7日

父の元を訪れること3日目-。
まだ目も開かず、言葉を交わすどころか、声も発してくれてません。
1日延ばした妻の連休も今日7日で終わってしまうので、昼前には帰途につかなければなりません。
この日午前の面会がラストチャンスです。
前日、前々日と父の元を訪れのは、いずれも午後。本日はこちらの都合で午前の訪問となったのですが、施設職員の方の「朝の体温計測後辺りにいらっしゃれば、お話しできるかもしれません」の言葉通りになれば…。
私たちと叔父夫婦と何とか話ができればとの一縷の望みを抱いて、午前9時過ぎ、父の入所先の施設の個室へ。

すると、何と!
部屋に入ると、ベッドに横たわったままではありますが、父が目をうっすらと開けているではありませんか。
これぞ、三度目の正直!
神に願いが通じたか!!

私は感極まり「オォ~」と声を上げていました。「良かった、良かった」「到着が遅れてすみませんでした」。
すると父は私の眼を見て、ひと言「おう」。
酸素吸入マスク越しの小さな声でしたが、確かに応じてくれました。

思わず、父の額と頭を手で撫でさすり「良かった。頑張ってるね!」と励まし、妻が「お父さん」と呼びかけると…
「おう」と、再び返答してくれました。
父はその後、何か言葉を発したのですが、酸素吸入器を付けている関係で、ちょっと聞き取れません。

別室で待機している叔父、叔母とも会話してもらおうと、私は「叔父さんたちも来てるから」と、両手で父の手を握ったり、さすったりしていました。
医師でもないし、看護師、介護士でもない自分には父の状況を好転させる有効な術はありません。
無能、無力…それでも、とにかく少しでも父に頑張ってもらいたいという気持ちが自然とそうした行動に現れたのだと思います。

叔父夫婦とも短い時間でしたが、アイコンタクトができました。
最後に父が発した言葉が聞き取れました。
「眠たい」
病と闘い、疲労で睡魔に見舞われながら、父は精一杯、私たちと面談してくれていたのでした。

4人は念願の父との面談がかない、昼前に帰途についたのでした。

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