北斎三昧

家族

小布施町へ

ある方からいただいていた旅行・宿泊券の使用期限が迫ってきていたので、妻と秋旅に。
旅行券は「星野リゾート宿泊ギフト券」で、全国にある星野リゾートの宿で利用可能ですが、当然ながら「額面以上のお支払いはご宿泊者のご精算となります」。
予算と休みの日数を考え、当初1泊2日の旅を想定していたのですが、「車で出掛けて、二泊三日の旅行にしましょう」との妻の提案を受けて、信濃路へ出掛けることにしました。

先ず向かったのは長野県小布施おぶせ町の北斎館です。
2013年に増改築され、外観、内装ともとてもきれい。
小布施、北斎とくれば、NTTデータのCFを思い浮かべる方もいるかと思います。

江戸の浮世絵師・葛飾北斎かつしかほくさいは版画「富嶽三十六景」などで知られていますが、フランスの印象派の画家たちや芸術に携わる人たちに影響を与え、ジャポニズムのブームを引き起こしたといわれています。天保てんぽうの改革(1841~1843年)による贅沢禁止、文化の統制で江戸での活動がままならなくなり、信州小布施の豪農・豪商の高井鴻山たかいこうざんの招きで、83歳のころに訪れたといいます。

小布施の地では、版画ではなく肉筆画に取り組み、85歳で東町祭屋台の天井絵として「龍図」「鳳凰ほうおう図」を、86際のときに上町祭屋台の天井絵として怒濤どとう図「男浪おなみ図」「女浪めなみ図」をそれぞれ手掛け、88歳で岩松がんしょう院本堂大間の天井絵「八方にらみ鳳凰図」の計5点を残したとされます。
北斎は江戸に戻って90歳で亡くなったそうですから、小布施でのこれらの作品は、肉筆画だけとしてではなく北斎芸術の集大成ともいえます。

北斎館では、八方にらみ鳳凰図以外の4作品が鑑賞できました。
龍も鳳凰も現存しない架空の生きもの。龍は紅色をバックにした勢いのあるポーズを、鳳凰は藍色を基調に神秘的な印象的です。
男浪、女浪も、白浪が怒濤のごとく押し寄せ、引き込まれていくような感覚に襲われます。
浪の先端の逆巻く勢いが何とも圧巻!!

岩松院の天井絵「八方にらみ鳳凰図」

北斎館を後にして、次に向かったのは岩松院。
岩松院は、 葛飾北斎や俳人小林一茶、戦国武将・福島正則のゆかりの曹洞宗の古寺です。
車で20分弱ほどで移動。

雨がしょぼつく中、露天駐車場から傘を差して本堂へ。
入り口から本堂の方へ進んでいくと、椅子が並べてあり、お寺の方が観光者相手にいろいろと寺にまつわる話をしてくださいました。

本堂の天井を見上げると、葛飾北斎による畳にして21畳ほどの天井絵「八方にらみ鳳凰図」がありました。
北斎館で見た鳳凰図と比べると、まずそのスケールの大きさは段違いで、色彩もとても鮮やかで素晴らしい!!
見る人がどこから見ても鳳凰がこちらを睨んで追ってくるように描かれていることから“八方睨み”。
12枚の天井板を床に並べて彩絵した後、クギを使わない技法で板を天井に取り付けたといわれています。朱・岩緑青・べろ藍などの顔料を使って彩色されており、制作後は塗り替えを1度も行っていないとの説明でしたが、その鮮やかさはとても時代物とは思えないほど。
金箔の砂子もまかれているそうです。
訪れた人たちの間からは、感嘆の声が自然と漏れます。

北斎88歳から89歳にかけての作品といわれていて、この作品を約1年で仕上げたというのですから、さらに驚きです。
もっともお弟子たちがたくさんいて、お手伝いしたのでしょうが、61歳のわが身を考えると、一体どこにそんなエネルギー、モチベーションがあったのだろうと、ただただ感嘆するばかりです。
翌年江戸に戻り、90歳で亡くなったといいますから、小布施で〝燃え尽きた〟のだともいえるかもしれません。

境内には福島正則が使ったとされる長槍のほか、一茶が「やせ蛙まけるな一茶これにあり」という句を詠んだ蛙合戦の池もありました。

野沢温泉に宿泊

半日の間、どっぷり、たっぷりと北斎鑑賞に浸った後、妻がお勧めの本日のお宿・野沢温泉へ。
雨が激しく降り出す中、急いで向かいます。
野沢での投宿は私は初めて。
もっとも推奨した妻も、学生時代にスキーを楽しみに訪れて以来のことでうん十年ぶりとのこと。

温泉街に近づくに連れ、坂が徐々に厳しく、道幅もぐっと狭くなってきます。
とても歴史を感じさせます。
そこに浴衣姿の人たちが下駄履きで闊歩しており、さらに風情をかき立てます。
どうやら外湯(共同浴場)巡りを楽しんでいる様子。

野沢温泉旅館組合、野沢温泉旅館ホテル事業協同組合のHPによると…
長野県の北部、広大なブナ原生林から生まれる『野沢の湯』は、自然に湧き出ているため、鮮度が高く良質、豊富な湯量から、日本屈指の名湯といわれています。
野沢温泉の湯を発見したのは、聖武天皇の頃(724~748年)にこの地を訪れた僧「行基」であるという説、また修行中の山伏が見つけたという説と手負の熊の後をつけた猟師が見つけたという説があります。いずれにしろ、かなり古くから野沢の地に湯が湧いていることは知られていたようです。

江戸時代に飯山藩主の松平氏が惣湯(大湯)に別荘を建て、一般の人々にも湯治を許可した後、多くの人々が湯治という形でこの山里を訪れるように。当時の湯治は北信濃や越後の人々が主として農閑期のご苦労休みに訪れたといいます。

まだ外は明るいですが、雨がしっかりと降り、もう17時を過ぎていたので、外湯巡りは明日の楽しみにして、本日はお宿のお風呂を堪能することに。
チェックインして、さっそく入ってみましたが、これがかなりの熱湯!
聞くと、野沢温泉はその源泉が熱いことで有名とか。
無色透明でわずかに硫黄臭もするような…。
しかし、とにかく、とにかく熱い!!
湯船が「普通」と「熱め」とに分けて、用意されてましたが、「普通」でも5分と入って居られないぐらいの熱さです。

おかげさまで湯上がりのビールは格別。
今晩のごちそうは、信州サーモンの造り、鮎の塩焼きに信州牛の焼きしゃぶ等々。
おしのぎに野沢菜おやき、香の物は野沢菜と、地元色豊かな「旬のおごっつぉふるさと料理」をいただきました。

もちろん、ビールの次は地元の日本酒-。
「水尾 辛口吟醸」「北光 夏の純米吟醸」「鮎正宗 純米酒」の飲み比べセットをしっかりいただきました。
特に、鮎正宗はしっかりとしたコクのあるよいお酒でした。



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