四十九日法要

家族

再び往復800㌔の旅

父の四十九日法要に合わせ、納骨したいという兄の意向を踏まえ、妻と一緒に帰省することに。
東京の叔父夫婦にも参列をお願いし、5月の大型連休中の帰省に続き、私が運転する車に同乗していただきました。
再び往復800㌔強の旅-。
5月は父の「激励」が目的でしたが、今回は「慰霊」の遠乗りとなってしまいました。

法要は6月25日(火)午前10時から執行の予定。
午前10時までに車で現地入りするためには、東京出発は早朝を余儀なくされ、所要時間も読み切れない上、移動後そのまま法事に臨むのでは高齢の叔父、叔母にとってとてもきつい行程となります。
ですので、24日(月)に出発し、菩提寺近くのホテルに前泊することにしました。

車中では、5月の時と同様、父をはじめ母や祖父母の思い出話が途切れなく、次々と出てきます。
同じ顔ぶれの4人で同じルートをたどっているので、まるでデジャビュ(既視)感覚。

でも、たまに横目で窓の外を見ると、5月の時には多くの田んぼで水張りをしていたのでほぼほぼ茶色でしたが、今回は田植えも終わり、生育中の稲の鮮やかな緑色へ。
木々の緑も、黄緑色からぐっと緑深くなっています。
そんな移ろう景色を目にしていたら、
(あっという間に、父は逝ってしまったのだ…)
そう、思い直したのでした。

父、母と先祖の元へ

25日は午前9時過ぎに宿泊先のホテルを出発。
事前の話し合いで、兄夫婦には実家から父のお骨に遺影と位牌、それとお供え物を準備してもらい、当方は供花と線香を持参することになっていました。
私たち4人は供花と線香を買い求めるため、菩提寺近くのスーパーに立ち寄った後、お寺へ。
兄たちが50㌔ほど離れた実家からお寺に到着するまでの間、お墓と周辺を掃除して、納骨の儀式に備えます。

身内のみの10数人がお堂に参集。
住職の読経が始まる前、父の位牌を確認すると、父の法名が記されていました。
「泰覚院栄誉彩道居士」
ちなみに父の法名の所以は、「泰」然としている姿に「覚」えあり、名前から「栄」の一字と、よく絵を描いていたので「彩」を取り込んでいただいたとのこと。

父の法名の左には、一昨年に亡くなった母の法名が。
「慈教院政誉編浄大姉」
父は、母が亡くなった時、いずれ二人が並んで収まる「夫婦位牌」を望んでいました。
(おやじ、願い通りになりましたよ)

お堂での読経後、先祖代々の墓までみんなで移動。
墓前で改めて住職に経を読んでいただいている中、兄が重い墓石をずらし、兄と私の二人で骨壺を持ち、少しずつ傾けながら父の骨をバラバラと納骨室へと移しました。

納骨室の下部はコンクリートなどで固めてはおらず、むき出しの土。
ご先祖そして亡母の骨の上に、父の骨が重ね落ちる格好です。
文字通り、土に還ることになります。
(おやじ、これでおふくろとまた一緒になれましたよ)

形見分け

納骨を無事終えると、位牌を持って、実家へ。
「おやじの思い出の品を形見としてもらっていただきたい」
実家に着いてほどなくして、兄が私と叔父を父が使っていた部屋と寝室に案内して「どんな物でも」と促します。

幾つも背広がありましたが、私も叔父ももう着ることはありません。
父とは身長も体格も違っていたので、他の服もサイズが合わず、なかなかピッタリと身につけることができる物を見つるのは容易ではありません。
着物もありましたが、着る機会もなく…。

そんな中、ベレー帽とトラベルベストを〝掘り出し〟ました。
ベレー帽は、母が父のために編んでくれたもの。トラベルベストは市販のものですが、ポケットが多くついていて便利そう。
その2点を形見の品としていただくことに。

叔父はというと、ビニール袋に入ったままの未着用のリンネルのシャツを発見。
そちらをもらい受けたようです。

大切に使わせていただきます。

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