お盆前にお迎え
父が亡くなって、100日が経ちました。
本日8月15日は、奇しくも父の誕生日であり、終戦記念日でもあります。
自宅居間のサイドボード上に置いたフォトパネル-。
母と手をつないで笑って写っている父に目をやり、合掌です。
先の大戦で命を落とされた方々ともどもどうぞ安らかに…。
実は、百箇日に先立ち、先週末に妻と二人で帰省しました。
現地で小回りが利くように、自家用車で移動。
5月、6月に続いて、3度目の往復800㌔強の長旅です。
実家から距離にして50㌔ほど離れた菩提寺に。
四十九日のとき、百箇日の法要を一緒に済ませていたので、住職の読経も無く、お墓参りだけ。
兄とは事前に、その日の午後にお寺で落ち合おうと打ち合わせ済み。
地元スーパーで供花と線香、それに父が飲んでいたアルコールに母の好きだったソフトドリンクを購入し、お寺に到着。
墓参りに来ている方々がいて、敷地内の木陰には見慣れない車が。
兄はまだ着いていないのか、と思いつつその車に近づいていくと、運転席から男が降りてきました。
誰だろうと思ってよく見てみたら、兄。
車を買い換えたとのこと。
兄の墓前報告
数週間前、此度の帰省について兄に電話したとき、彼が胆石除去の手術を受け、無事退院したとは聞いていました。
しかし、直接、顔を合わせる機会がなかったので、元気そうな姿を目の当たりにしてホッとしました。
痩せてもいないし、顔色も悪くありません。
「元気そうで何より」
「おぅ。手術の傷が痛むときもあるけれど、まぁ回復に向かっている」
短い挨拶を交わした後、水場で桶に水を満たし、ひしゃくを持ってお墓の方へ。
この日、日差しが強く、気温は体温近くまでぐんぐんと上昇。
墓前に着くや、先ずは「甘露の雨(かんろのあめ)」ということで、ひしゃくでもって水供養。
それから線香に火を付け、お花、飲み物をそえて、3人で手を合わせました。
帰省し、墓参りをしたのは8月10日。
父の四十九日法要、納骨のとき以来です。
父は、慕っていた母を追って一緒のところへ収まり、さぞ喜んでいることでしょう。
お盆入りの前でしたが、幾日か先駆けての〝お迎え〟とし、父母や祖父母らを自宅まで〝ご案内〟することに。
兄は祈りを終えるや、その場に腰掛け、私と妻に向かって問わず語りに胆石除去の手術の話をしゃべり始めました。
お腹が痛み出し、最初は食あたりかと思い、近所の病院へ。
医者も兄の「食あたりか」という素人判断に引きずられたようで、薬を処方。
しかし、自宅に戻っておとなしく静養していたものの、翌日も痛みが収まらなかったため、改めて詳しい検査を受けたところ、胆石が原因と判明したとのこと。
設備の整った別の病院へ移り、体に負担が少ないといわれている腹腔鏡を使った手術を受け、胆石と一緒に胆嚢も摘出したと。
父母への墓前報告となりました。
至宝の一枚発見
墓参りを終えると、兄の快気祝いも兼ねて、近くの温泉に一泊。
実際に実家へと向かったのは、その翌日11日でした。
実家に戻ると、兄は家のどこからかお盆提灯を引っ張り出してきて、玄関の軒先につるし、当方は仏壇回りの担当で、遺影に位牌、仏具・装飾品のほか果物や飲み物を準備したのでした。
父の法名「泰覚院栄誉彩道居士」と、母の法名「慈教院政誉編浄大姉」が並び記してある位牌を仏壇の中心に据えて。
ひと段落つくと、兄が「お前に見てもらい物がある。自分だけの判断ではどうしようもない」と切り出しました。聞けば、先に親族への形見分けも済ませた後も、少しずつ父の物、母の物の整理・片付けに頭を悩ませているとのこと。
「車庫の中と外に段ボール箱が置いてあるから」
そう言うので、玄関を出て車庫の方へ行ってみると、ふたが開いた段ボール箱が数箱。
中をのぞくと、各段ボールに分厚い写真アルバムが7、8冊ほど入っています。
見てもらいたい物とは、もっぱら父が撮影した写真アルバムのこと-。
幾つかを手に取ってめくってみると、モノクロにセピア色のカラー写真の数々。
撮影者が父なので、自身が写っている写真はほとんどありません。
一方、母、兄や私の幼少時のもの、親戚の方々を撮った写真が文字通り山ほどありました。
一枚また一枚と眺めていると、父の家族への愛情が伝わってきます。
これはと思う写真を何枚か発見!
アルバムの透明シートをめくって、粘着性台紙の上の写真をはがそうとしたのですが、何十年も経っているので、写真は台紙にピタリと密着。
張り付いた古写真を破れないように、粘着性台紙と写真との間に爪を差し込みながら、少しずつ少しずつ、慎重に丁寧に剥がしていきます。
下手を打って毀損してしまった物も数枚ありましたが、全部で20枚超の写真を取り出すことに成功しました。
そのうちの1枚が手元にあります。
就職したばかりのころでしょうか…。
父母と私、叔父に従姉妹と一緒にカメラ目線で、飲み物片手に乾杯のポーズを決めています。
私の顔はまだ幼さが残っています。
「至宝の一枚」として近々、自宅居間のサイドボード上の父母のフォトフレームの隣にでも並べてみようかと思います。